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・橋湾城遺跡
安西県城東85km、甘新道路南側疏勒河北岸にある。東西約300m、南北幅約100m、黄土で築かれた。1947年国民政府修復の「安西県誌」の記載によれば、この城は1732年に建築され、当時は倉蓄城で後に回族の居城となった。同治元年(1862年)回族が暴動を起こし、人民は逃れ、城は荒廃した。この城の建造にはある物語がある。言い伝えによると康煕帝が夢の中で西北の砂漠に遊び、この城が金碧輝煌に輝くのを見た。夢から覚め、程金山父子に夢の中の城を建造するよう命じた。程氏父子は、この地が都から遠く離れているのを幸い、巨額の賄賂を貧り、現在の規模の小さな城を建造した。この事が帝の怒りに触れ、程氏父子は死刑にされ、皮を剥がれて、鼓にされた(人皮鼓)。親子の人皮鼓、人頭碗、その他禅僧のミイラ等は安西県博物館にあり、1992年から開放されている。

 

?嘉峪関
・嘉峪関市
万里の長城の東の起点である山海関から約6,000km続いた西の起点である。漢代には敦煌の玉門関、陽関の砦があったが、明の時代は嘉峪関までしか支配権が及んでいなかった。
市としては比較的新しく、町並みも綺麗で、道路も整備されている。1950年代から製鉄所ができ、栄え始めた。労働者として東北地方からの人々が多く移り住んでいる。
・嘉峪関城
この嘉峪関の長城は明代(1372年)に築造された。城楼の平面は台形で面積は3万3,500?余りあり、城壁の高さは11.7m、全長733mある。城楼は東西対象で三層になっていて、周囲には廊をめぐらしている。天下第一雄関は東端の山海関の天下第一関と対をなしていてデザインが統一されているという中国らしい雄大な発想である。城楼からの眺めは、ゴビ砂漠が一望でき、長蛇のような万里の長城が眺められる。これもまた雄大さを感じさせる。
城内には将軍府、井亭、文昌閣、関帝廟、牌楼等があり、嘉峪関の西100余mには、”天下雄関”の碑文がある。
・嘉峪関長城博物館
古代城堡式建築を模して造られ、外観は古く風格は独特で、中国一の長城博物館である。館内は7つの展示室に分けられ、万里の長城の基本陳列、各歴史時期の文字図表解説、古代兵器装備、長城書画作品、出土文物等、合計7,000余点、その中、”長城工牌”、”永楽銅炮”、”嘉峪関関照印版”等は長城研究の貴重な資料である。
・長城第一敦
祁連山脈の麓、北大河北岸の高さ80余mの崖淵に費え立っている1539年に建設された瑚台が明代の万里の長城の西の起点とされ、万里の長城の第一敦と称された。この敦は、はるかに下を臨み、地勢も険しく、周囲の環境も独特である。ここに登ると、荒涼たる風景、祁連山の雪の峰々、古の要塞が目の前に展開し、一幅の美しい絵のようである。

 

 

 

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